一瞬にして変わる表情を見るのが好きだった。
部室に二人しかいないことを確認してから仕掛けた悪戯に、柳生は普段ならば絶対に聞けないだろう取り乱した高い声を上げた。カシャンと硬質な音を立てて眼鏡が床にぶつかる。
振り返った奴の眼差しは鋭く研ぎ澄まされ、射るように見据えてきた。先までとは全く違う表情。それは温和で無表情にも近い、紳士の殻が床に落ちた眼鏡と同じように、音を立てて剥がれていると感じる瞬間だ。
「何をするんですか」
「何って、愛情表現じゃろ」
「突然触らないで下さいと、以前にも言ったでしょう」
簡単なことだった。着替えている背後からちょいと手を伸ばしてそっと脇腹を撫でてやった、ただそれだけのこと。
驚くほど敏感な奴は、耳元で囁いたり少しばかり背中に触れるだけでも顕著な反応を示す。驚きに瞠られる眼も次いで寄せられる眉もどれもこれも新鮮で、いつの間にか些細な悪戯にすっかり夢中になってしまっていたのである。
今日も悪戯は成功した。寧ろ成功しない方が可笑しい。何故ならば柳生は警戒すると云うことを学習しない。それは即ち悪戯をされたがっているのだと曲解して解釈することもできる。その事実にほくそ笑んだ。何度も何度も繰り返し仕掛けているのだからいい加減学べばいいのに、いつだって無防備に晒されている背中をいっそ引き倒してしまいたい衝動は辛うじて抑え込めるのが常だった。そして抑え込まれた衝動が些細な悪戯になる。
「だってお前のこと好いとうて、言うたじゃろ」
肩にしな垂れかかるように腕を乗せ至近距離で笑みを浮かべる。ふるりとまた、柳生の身体は震えた。これしきのことで感じていてはこの先どうなるのだろうと考えてく、と喉を鳴らす。
しかし一瞬は確かに瓦解したと感じた奴の殻はまた眼鏡のブリッジを押し上げることで復活してしまう。そうして吐き出される長い溜息と共に諦念を含んだ視線が投げ掛けられたから、おどけて小首を傾げてみせる。
「……あなたと云う人は」
「何じゃ、惚れ直したか?」
「幻滅したんです!」
語気荒く怒鳴り声にも近い音で真っ赤になりながら叫ぶ様を見ているのが楽しいのだと言ったならきっと、平手の一発くらい飛んでくるだろうことは容易に予測できたものだからそこはぐっと黙って、ネクタイを引っ張りキスをするに止めておいた。
暫く口内を味わいそうして離れれば、林檎のように真っ赤に頬を染めた柳生の顔が至近距離に在る。上手そうじゃ、と悪戯に頬を舐めれば結局、仁王くんと名前を呼ばれた瞬間に脳裏に星が散り頬に鋭い衝撃が走った。お陰で頬は柳生のそれより林檎のように赤く、腫れてしまうことになってしまうのだけれど。
幸福の代償
07.11.03 H