「なん?……柳生」

 髪に、触れる感触。仁王は重い瞼を押上げる。網膜を突き刺すのは、少しだけ開いたカーテンから零れ落ちるもう中天に差し掛かろうとしている太陽の光の欠片だった。手の甲で、瞼を擦る。思考は覚醒せず、ぼんやりと微睡んでいるままだ。ただ触れている手が、柳生のものだと云うことは解る。
 体を反転させて向き直れば、真っ直ぐな視線。ほんの少し瞠られた瞳に、仁王は頬を綻ばせる。眼鏡はベッドサイドに置きっ放しなのだろう。いつもは隠れてしまう双眸が、今は白日に晒されている。カーテンで遮断された室内は、それでもじわりじわりと侵食してくる光によって明るさが滲む。
 一瞬の驚きを引っ込めてほんの少し口の端を擡げ眉を下げ、苦笑とも取れるような笑みを浮かべた柳生は、再度仁王の髪に手を伸ばした。ゆっくりと、大きな手のひらが頭を掻き混ぜる感触に瞼を瞑る。睡魔は完全に晴れたとは言い難い。誘発される眠気の波に抗おうと、仁王は柳生をきつく、抱き締める。瞠られた、双眸。

「どう、したのですか」

 肩口に顔を埋めた仁王から、柳生の顔は見えない。けれど確かに声に潜んだ驚きに肩を揺らして、笑声を漏らす。静かな室内には、二人の声と息遣いと、それからシーツが、擦れる音。目覚ましは掛けていなかった。携帯の電源は落としたまま。ここはだから二人だけの、世界。閉鎖された世界の中で外の音は聞こえない。
 柳生の問いを敢えて笑殺した仁王はそのまま背中に回した腕に力を込めた。ほんの悪戯心。小さな声を上げて腕の中で擽ったそうに身を捩る柳生の髪がゆるりと額を撫でるて擽ったさに眉を寄せた。これでは本末転倒だ。仁王の目論みは呆気無く瓦解する。それを他所に柳生は抱き締められたまま自由になる片腕を持ち上げて、頭を撫でた。今日はやけに触れる指に、首を傾げる。そうしてもう一度真っ直ぐに見据えて、絡む視線。

「何か、あるん?」

 顔を上げて問い掛ければ、柳生は小さな声を零して、笑って、額に口付けて、髪をくしゃりと掻き混ぜた。優しい仕草は、穏やかな時を体現している。

「……撫でたい、気分だったんです」
「何で?」
「貴方に、優しくしたいと、思ったから」

 こんな方法しか思いつかなかったんです、と。柳生は悲しそうにけれどとても美しく、笑みを零した。指先が強張る。拒絶を、恐れているのだと瞬間的に悟った。仁王はその手を取ってそっと手の甲に口付けて舌を這わせる。猫が、毛繕いをするように、優しく。
 ちち、と鳥が窓の外で鳴いていた。太陽はきっともう昇りきってしまった。二人を取り巻く世界は静かに、緩やかに変革を迎える。夜が終わって朝が来て、昼が来る。そうしてまた廻って夜が来て、同じ繰り返しの中で確かに毎日違う身体と、想う心を持て余しながら二人は寄り添って歩いて往く。離れられないのはきっと二人が元々は一つの魂の下に生まれたからなのだと、夢のようなことを思う。思うだけでそれが事実だとは到底思えなかったけれど理由なんてなんでも良かった。ここに二人が繋がっていられれば、それ以上何も望まなかったから。

「朝、か」
「もう昼ですよ」

 柳生の手がもう一度頭を撫でた。その感触に仁王は笑声を零した。
 温かい肌と肌とを重ねて抱き合った。腕の中で柳生の肩が震えた。
 世界はただ温かくて、二人はここに在って、それが、全てだった。





おはよう、世界

08.09.05 H