ぎいと音を立てて開き放たれた扉。網膜を突き刺すのは鮮やか過ぎる太陽の光だ。仁王は、うんと、一つ伸びをする。
 夏も終盤とは言え、中天に上った太陽がじりじりと音を立てそうな程に照りつけている。昼休みともなれば男女問わずの喧騒に包まれる屋上にしかし、一見したところ人影は無い。

「やっぱ、授業中に限るのう」

 そのまま丁度、扉の裏側へ回る為に歩を進めた。階段と扉があるこの小さな四角い建物の、反対側が仁王の場所だ。この時間太陽をぎりぎり遮ることができるのはこの場所だけだった。
 時折ふらりと授業を抜けては、こうして屋上で居眠りをする。日課ではない。気分の赴くまま、仁王は気紛れに空へ手を伸ばした。咎める者など居る筈が無い。ここには、誰も。在るのは空と風と太陽とコンクリートとたった一つの生身だけなのだ。
 それにしても暑いと、心の中で呟きと溜息を漏らしながら頭上に手のひらを翳せば、血管が透けて赤い筋を描き出していた。まるで赤い糸のようだと考えて仁王は一人笑みを漏らした。そんなものを信じている訳ではない。仁王は非現実的なものを信じていなかった。
 幽霊も妖精も天使も神様も、そんなものはくそくらえだと思っていた。ずっと。

「ん?」

 翳した手のひらの下、見慣れぬ上履きが、人の足が視界に入る。仁王が格好の昼寝場所と決めているその場所に、どうやら先客がいるらしかった。珍しい。一人心の中で口笛を吹くも折角抜け出した手前、このまま教室へ戻ることはしたくない。
 首を傾げ、しかし好奇心も手伝い仁王はそのまま覗き込む。そうして、眼を瞠った。
 本を膝の上に置いたまま、眠っていたのは柳生だった。
 仁王は先ず、授業時間中に柳生がこんな場所に居ることに疑問を覚える。けれど先刻の昼休み、次の時間は自習なのですと言っていたことを思い出し合点がいった。次に柳生がどうして此処にいるのかと云う疑問が浮かんだ。けれどそれはああ確かにここは静かで、少しばかり太陽に近くて、手の中で捲れて行く本を読むには丁度良い場所なのかもしれないと思うことで納得した。それ以上はもう、考えることも面倒で溜息と共に空へ昇華させる。
 そうして仁王は柳生の隣にゆっくりと腰を下ろした。けれど、柳生は起きる気配が無い。ぐっすりと眠り込んでいるらしい彼の目の下に薄っすらとできている隈が、疲れているらしいことを伺わせて仁王は眉を寄せた。小さく舌を打つ。爽快な青空とは反した苛立ちが、心の中に波紋を広げてゆく。一度広がった漣は収束する所を知らず、持て余す感情の揺れにまた一つ、仁王は舌打ちをした。それでもやはり柳生は起きない。珍しい光景だった。
 柳生は、変わった様子など一分も見せない。いつも物腰は穏やかに笑みを浮かべて与えられた仕事を、役割を淡々とこなしているから皆、気付かないのだ。

「……疲れてるなら、言いんしゃい」

 呟きを零すと同時に、霧が晴れるように苛立ちの正体を仁王は理解した。
 単純なことだったのだ。
 どうして、自分にすら言わないのだと云う、そんな、何て利己主義的な、怒り。
 理解をした途端に可笑しくなって、仁王は二人きりの屋上でくつくつと喉を鳴らして笑った。笑声はしかし、風に攫われて消える。それと共に揺れた柳生の髪にそっと触れて仁王は、もうだめなんじゃ、な、と心の中で呟いた。言葉にはしない。こんなにも自分ばかりが囚われていると云う現実を、彼に知られてはならなかったからだ。それは己の有利を確立する為には絶対的に必要な条件である。いつの間にか溺れていた現実。認めたくは無いけれど。

「あーあ」

 声を上げる。情け無い声など、蒼穹に消えてしまえば良いと希った。けれど触れた所から伝わった振動でか、どうやら柳生が眼を覚ましたらしい。ん、と漏れる声。まだ、まだだ。柳生は完全に覚醒しては居ない。
 何かを思いついたのか仁王は悪戯な笑みを口の端に刻む。そうして瞬きをする寸前の柳生を覗き込み、未だ覚醒しきっていない為か、ぼんやりと開けられた口に強引に口付けた。奪う。吐息すら。呼吸、すら。全て溶け合って一つになれば良かったのに、所詮個は個で、二人は違う人間なのだからそんなことは夢物語にしかすぎない。だから嗚呼、いるならば、神様、と仁王は唱える。信じても居ない神に願う。時を止めて下さい、と。勿論のこと居る筈の無い神がその願いを叶えてくれる訳は無い。けれども。

(思い、知れ)

 唇を離せば柳生の面食らった顔が見られるのだと思えば少しばかり溜飲が下がる気がした。

(のは秘密、じゃ)





屋上でキス

08.01.20 H