曇天から零れ落ちた滴が、鮮やかな直線を描く。仁王は逆に吸い込まれてしまうようにも見える空を振り仰ぎ、溜息を着いた。全く、ついていない。

「あめかー」

 昇降口でしゃがみ込み、抑揚の無い声で呟きながらがりがりと頭を掻く。生憎今日は朝から晴れていた為、雨具の類は持っていなかった。通り雨ならば良いが、どんよりと暗い空からは一筋の光も伺えず、止む気配は一向にない。仁王は昇降口で、本日二度目の溜息を吐いた。
 そもそも今日は試験期間前の為テニス部の練習が無い日で、自由気ままな放課後を過ごせると踏んでいたのだ。CDショップへ行ってもう先月に発売していたらしい少しばかり気になるアーティストの新曲を買って、スポーツ用品店でラケットのグリップテープを見繕って、久しぶりにゲーセンにでも寄って帰ろうかと、授業中にあれやこれやと立てていたプラン。しかし、不意の雨に出鼻を挫かれる形になってしまった。まさに全てが水の泡だ。ザアザアと音を立てて地上に降り注いでいる恵みの水が、今はただ、何とも憎らしい。

「おや、仁王くん」

 頭上から降る声に顔を上げれば、見慣れた相棒が傘を片手に覗き込んでいた。その表情はどちらかと言えば呆れを多分に含んでいるようで、肩を竦めて発された言葉は、まさにそれが事実なのだと裏付けるかの如くである。

「何をしているのです」
「見て分からんか?」
「傘を忘れて立ち往生をしているように見えます」
「ビンゴ、じゃ」

 よっ、と声を出して立ち上がれば、柳生の顔が思いのほか近くにあった。驚いた風に目を僅かに瞠り後退る相手の腕をぱしりと、乾いた音を立てて取る。柳生は目を瞠ったまま、仁王をじっと見つめていた。その眼の中で、己の銀色の髪の毛がひらりと揺れているのを見るのが好きだった。相手の視界を、世界を埋め尽くす。征服欲とでも言うのだろうか。いや、もっと単純なものなのかもしれない。疑問に思ってはいても、仁王は答えを求めてはいなかった。
 にっと口の端を擡げて悪戯な笑みを浮かべれば、柳生はちょっと首を傾げる。些細な仕草にも悪戯心を擽られ、仁王は捉えた腕をゆるりと撫でた。

「に、仁王くん!」
「ん?」

 振り払われた手。真っ赤になった顔。ほんの少しの戯れに、柳生はいつも顕著な反応を返す。無沙汰になってしまった手をひらりと翻し、満足げに笑いかければ、ぱたぱたと足元で雨水が跳ねる音がした。
 そのまま仁王は雨の中へと傘も差さずに歩き出す。

「ちょっと、風邪をひきますよ」

 慌てて傘を差した柳生が、追いかけてきた。単純なのだ、この男は。性根が優しい彼は結局、誰を見捨てることもできない。そして仁王の策略に簡単に嵌ってしまう。それが柳生の策略であるのかは判別しかねるが兎も角、傘をさしてぽつぽつと音を立てて降る雨の中を彼は追いかけてくる。それだけで仁王は、雨の中飛び出した甲斐があったと、思う。
 柳生の差し出した傘が水滴を遮るがしかし、二人に一つの傘は窮屈で、案の定肩の辺りは二人揃って濡れてしまう。柳生はふうと溜息を吐き、呆れた、と言った。

「……風邪引いたらモチロン、看病してくれるんじゃろ?」
「この大切な時期に体調管理もできないような人は、簀巻きにしてそこらの川へぽい、ですよ」

 くいと眼鏡を押し上げた柳生は本当にいい笑顔を浮かべていて、仁王はうっと息を呑むことしかできなかった。

「何処へ遊びに行くつもりだったかは知りませんが、寄りかかった船です」

 びくり、と仁王は肩を揺らせた。
 その反応を見ると、眼鏡の向こうの目は益々細められる。決して成績が良いとは言えない仁王のことを柳生は常日頃から嘆いていたのだ。貴方はやればできるのに、と。雨の中で怪しげに光る眼鏡と満面の笑みを浮かべた柳生が、そしてついに、仁王を追い詰めた。

「今日はうちで、みっちり試験勉強をしましょう」





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07.11.29 H