はあ、と吐き出した息は白い。
ひどい混雑をきたしている駅のホームで私は本当に一人きりだった。上を見上げればどんよりと暗い雲が空を覆い、今にも落ちてきそうなほどである。
私はもう一度溜息をついた。いや、つかざるをえなかったと、言った方が正しいかもしれない。何故なら私はやはり今一人で、こうして雑踏の中に居て、来る筈の無い人を待ち続けているのであったからである。
来る筈が無いと高を括っていたのは理由があっての事だ。彼は今日は来ないと言っていた。何か用事があると、そんな事を言っていたように思う。そして私は彼の理由に納得をした振りをして頷いてみせた。はい、解りました。ではまた次の機会に、と。
だから彼が来る筈は無かった。
私も此処に居る筈が無いのだ。
けれど私は何の躊躇いも無く此処へ来た。時間通りに。来る筈の無い人を待つ時間すら、私には意味のある行為のように思えたのだ。まるで本当に、好きな、愛しい、人を待っているような気がしたのださながら忠犬のような今の姿が。
仁王くんはよく、私に言う。
愛が足りない、と。
でもきっと、それは仁王くんが私がこんな事をして一人満足している事を知らないからだ。知っていたらそんな言葉を言うことはできないに違いない。歪んではいても私の心の中には結局の所仁王くんへの想いが飽和状態になっている。ただ逃がし方を知らないだけだ。だから苦しい。けれど己の独占欲と訳も分からぬ不安で彼を苦しめたくは無かった。
仁王くんは鳥のように自由な人だ。暗い所を好んで歩く癖に、青空の下でテニスをしている様がよく似合う。今日のような曇天の空は、きっと彼には似合わないだろう。
腕時計に目を遣れば、針は既に時間を一時間は過ぎていた。立ち上がる。脚に違和感を感じるのは同じ姿勢でずっと座っていたからだ。馬鹿だ。私は、本当に馬鹿だ。
顔を上げて前を向く。今日は久し振りに図書館へ行こうと決めていた。目の前に滑り込んでくる電車に乗れば、目的地は二駅先だ。扉が開き人が降り乗り込む。その波に紛れようと歩みだしたその時、唐突に腕を引かれて立ち止まる。
「どうして、」
それ以上は言葉にならなかった。振り返った先に居たのは仁王くんその人だった。
「遅うなって、すまんの」
仁王くんは何もかもお見通しだとでも言わんばかりの笑みを浮かべて、私の手を離す。しかし電車の扉は無情にも閉まっており、既に発車し掛けている所だった。
私達の背後を、電車ががたんごとんと音を立て通り過ぎて行く。ホームはまたざわめきを取り戻し、乗り損ねた人や次の電車を待つ人たちが線路際へと並び始める。仁王くんは笑っていた。私の質問には答える事無く、ただ。私はもうどうして良いのか分からずにその場に立ち尽くすしかない。彼は来る筈の無い人だったのに。だから私は此処へ来たのに。風が通り抜ける。その時ふと運んできた白い陰。同時に上を見上げれば、舞い落ちる、のは。
「雪、じゃ」
仁王くんが手を伸ばす。白いふわりとした雪を掴もうと。
空を仰いだまま私は涙を呑んだ。これはきっと私の代わりに神様がくれたプレゼントだ。有難うも嬉しいも悲しいも寂しいも何も伝えることのできない私の代わりに、きっと。
空が、泣いていた。
美しい涙を、零していた。
ありがとう。(好きです。とても。愛してる。)
空に泣く
08.02.24 H