「有意義な、一日でした」

 生来の性根が生真面目な柳生は、そう言って電車の扉が閉まるさまをベンチに座って眺めていた。姿勢を正し真っ直ぐに前を向いている横顔を、仁王は肩肘を突いて盗み見る。
 黄昏時のホームに二人以外人は折らず、二つの隣り合った影がゆるりと伸びているだけだ。黒い影は丁度、足元から電車がカタタンと音を立てて去ってゆくホームのぎりぎりまで長く、長く伸びている。

「こんな所にテニスコートがあったんですね」
「知らんかったじゃろ」

 ええ、と頷いた柳生の髪がさらりと揺れる。微かな風が前髪を揺らし、無防備に晒された眼鏡が夕陽の残光を反射した。
 静かだった。二人共が口を噤めば聞こえてくるのは通り過ぎる風の音と、遠く遠くで鳴いているウミネコの声だけだ。
 珍しく練習の無い休日に呼び出されて連れられたのは海近くのコートだった。仁王はたまたま見つけたんじゃと言っていたが、その横顔はこの土地に溶け込んでいてああそれは嘘なのだろうなと柳生は思う。しかし言葉には出さずそうなんですかと微笑む。柳生にできることはそれくらいだった。踏み込まれることを嫌う仁王は柳生に問われたとしてもきっとのらりくらりと交わしてしまう。それが分かりきった事実であるから、結局柳生は何も言えないのだ。
 拒否をされるのは、怖かった。ならばいっそのこと踏み込まずにいる方がずっと楽なのだと云うことを長い付き合いの中で柳生は嫌と云うほど学んでいた。

「仁王くん、帰らないのですか」
「柳生こそ」

 隣り合って座るベンチ。その上でそっと重ねられた手のひら。互いに探り合う言葉を吐きながらも確かな体温は繋がっていた。今度の電車は電光掲示板を見る限り通過のようで柳生はそっと溜息を吐く。只でさえ少ない各駅停車の電車を、彼是三本は見送ってしまっている。けれど立ち上がろうとはしない二人の空間を破るようにジリリと警報の音が響いた。
 電車がまた一本、黄昏を越え夜の地平線を目指して消えてゆくその最中に二人はベンチの上で重ねた手を少しだけ握り合いどちらからともなく触れるだけのキスを交わす。けれどもそれは黄昏の闇が覆い隠してしまい現実と非現実の狭間で溶けて消えてしまった。





黄昏に溶ける

07.11.05 H