※高校生設定です。大丈夫な方はスクロール。
暗闇の中ぼんやりと揺らぐ街灯の光が、足元から影を生む。きんと冷えた、肌を射るような空気が風に巻き込まれて襲い掛かる。仁王はぶるりと肩を震わせ、首を竦めた。マフラーをしているとは言え、隙間から入り込む風を完全に防ぐ手立ては今のところ、さっぱり思いつかない。
手袋を嵌めた手で、ポケットにつっこんでいた携帯電話を無造作に取り出す。時刻は既に、23時半を過ぎていた。吐き出した息は白く白く、仁王はまた、小さく身体を揺らした。
高校に入ってから家を出た仁王は、駅から少し離れたアパートで一人暮らしをしている。必要最低限の仕送り以外は拒否している為、自分で稼ぐ以外に手立ては無い。今日も遅くまでコンビニでレジ打ちをしていた。暗い夜道を、電気の点いていない寒い部屋へと戻ることも、もう慣れたものである。
メールが届いたのはバイトの最中だった。レジの下でこっそりと開けた携帯電話のディスプレイに表示された人の名前に、仁王は人知れず笑みを浮かべた。そして今も。画面を開きメールの文面を反芻しながら、マフラーに埋めた顔の下半分は随分にやけてしまっていることだろう。
「はよ、帰らんと」
呟く言葉は白い息となって、暗闇に消えた。じじじと音を立て、街灯が翅を焼いた。
アパートへと向かう足取りは軽い。いつもとはまるで違った。平素であれば寒い寒い、部屋へ戻るその歩みは重くなるに決まっていたが、今日は違ったのだ。携帯電話を閉じ、もう一度ポケットに突っ込む。時計はまた一つ時を刻んだ。歩むアスファルトが、まるで雲のようだった。
ふうと溜息を吐けば、それもまた白く白く、そして消えてしまう。仁王は空を仰いだ。
待っている人がいるということ。それだけでこんなにも、幸せな気分になれるのだと思い知らされた仁王はだから、幸せだった。神よ感謝します。叫びたい衝動に駆られるが、それは辛うじて押さえ込む。夜半の叫び声はただの狂人か変質者でしかない。
そうこう思考を巡らせる内に辿り着いた見慣れたアパート。木造の古いアパート。夜闇の中で浮かぶそれは、見ようによってはお化け屋敷のようにも見える。しかしここが今、仁王の暮らす場所だった。ぼろぼろに見せかけて、しかしながら頑丈な自分だけの城を、仁王は殊のほか気に入っていたのだ。
カンカンと音を立てて階段を上る。響く硬質な音は、靴に反射して建物に静かな振動を伝える。階段を上り、更に奥へと進む。二階の一番端が、仁王の部屋だった。
窓。カーテンの隙間。そこから零れる光。人の気配。
手袋を外し、ポケットから取り出す鍵。冷えているはずのそれを暖かく感じたことが、不思議だった。力を込めて回せば、カチャリと音を立てて扉は簡単に開く。開いたその先、眩しい光が網膜を突き刺した。
「おかえりなさい、仁王くん」
声が返る。柔らかな声だ。光を背後に、柳生が立っていた。ちょっと照れたように笑みを浮かべるのは、出会った頃から変わらない。仁王はいつまでも初いままの柳生を、いたく気に入っていた。傍に置き止めておきたいと思うほどには。どんな手を使ってでも、ここに繋ぎとめておきたいと、思うほどには。
「……ただいま」
マフラーを取り玄関脇に立てかけてあるポールへと投げ、乱雑に靴を脱ぎ散らかせば、直したまえと柳生が眼鏡の奥の目を尖らせた。はいはいと二度返事をすれば、呆れたような溜息が返ってくる。些細な所作の一つ一つが、普段には無いものでまた、部屋の中に彩を添えた。
「待っとってくれたんじゃな」
「貴方がいなければ、始まりませんからね」
どさりと、腰を下ろし財布くらいしか入っていない空っぽに近い鞄をソファに投げ出す。沈む身体で天井を仰げば、覗き込むように見下ろす眼鏡越しの視線と重なった。暫し部屋に降る沈黙。じじじと鳴るのは電球の音だ。そろそろ付け替え時かと、どうでも良いことを考えながら仁王は柳生の首に冷えた手を伸ばす。ぴくりと揺れる、振動がじわりと広がる熱と共に手のひらを伝った。
「眠いのですか?」
「んー、ちょっと、な」
困ったような笑みを浮かべながら問う柳生の唇を、答えざまに奪った。
長い、長い沈黙。
離れた瞬間に、呆れた、と呟きながらも伸ばせば柳生はその手を取ってくれる。
「お祝いしようと思って、料理も作っておいたのですが」
「ありがとうな。でも今はお前が、先」
「がっつかないで下さい。先ずは紅茶でも飲んで、暖まってからです」
するりと手から手が抜け落ちる。少しくらい待てるでしょう。と言った柳生はひどく優しい笑みを浮かべていたから仁王は何も言えなくなった。丁度背後のキッチンで、こぽこぽとお湯の注がれる音が聞こえる。そうして暫し後差し出されたカップを手に取れば、立ち込める湯気と温かな感覚が冷えた手をじわりと溶かした。
「ケーキは?」
「ありますが、ご飯もまだでしょう」
「折角紅茶もあるし。丁度ええじゃろ?」
「……仕方ないですね」
苦笑を浮かべながらも立ち上げる柳生の後姿を追う。屈み込んで冷蔵庫から箱を取り出す柳生の背中に悪戯を仕掛けてやりたいと思う気持ちが沸々と湧いてくるが、わざわざ祝ってくれると云う相手の気持ちを無碍にするほど愚かではない。そんなことをしようものなら、手痛いしっぺ返しを食らわされることは目に見えて明らかである。
堅物に見えて、柳生の殊のほかイベント事を好んだ。誕生日を祝ってやれば、嬉しいです、と本当に幸せそうに笑ったし、クリスマスにささやかなパーティーもどきを計画して、分からぬように隠そうとしてはいるけれどでも楽しそうに指折りその日を待っているようであった。
今日も『ケーキを買っておきましたから』と云うただその一言だけのメールをどんな顔をして打ったのだろうかと考えるだけで退屈な夜のコンビニの仕事も耐え切ることができたのだ。
「お待たせしました。ローソクはどうしましょう」
「あー別にいらんぜよ」
柳生が隣に腰を下ろすや否や、早速皿に一つきり添えられていたフォークを掴みホールケーキに突き刺した。瞬間に、紅茶を口元まで運んでいた柳生の冷たい視線が仁王を射る。
「何じゃ」
「……おめでとうくらい、先に言わせてくれても良いじゃないですか」
「まあまあ、柳生も食べんしゃい」
ぱくりと齧り付き、残った分のケーキをフォークごと差し出す。丸め込まれる気が無いのか柳生は眉を寄せたけれど、結局一つ溜息を吐いて紅茶をテーブルに置くと口を開けた。
遠慮がちに開いた口にケーキを放り込み、フォークを抜く。カラン、と皿にぶつかる音が静かな室内に響く。無防備な肩に手を置きそのまま、キスをした。紅茶とケーキが残る、甘い、甘いキスだ。
「あー、うん。やっぱ、好きじゃな」
そう言って抱き締めれば、腕の中で柳生はふるりと震えた。目を閉じて震える身体を感じながら、ぼんやりと二人が共に歩む遠い未来を、瞼の裏に描いた。
いつまでもこのままでいられるなんて、そんなまるで少女マンガや夢物語のようなことを信じている訳ではない。けれど確かに、今抱き締めた腕の中の体温はホンモノで、柳生と食べたケーキと紅茶の味の混じったキスは、真実だったのだ。
「……私だって、好き、ですよ」
瞼を閉じた柳生は眼鏡を外して、軽く仁王の頬に口付けた。普段ならば彼から仕掛けてくることは殆ど無い。寧ろ意識がどろどろに侵され己を見失うくらいに泣きじゃくった時くらいだっただろうか。思い出し、仁王は一人ほくそ笑んだ。
「仁王くん?」
首を傾げて覗き込む眼差しの中に己が映る。柳生の世界を埋めていると云う事実が浮き彫りになる瞬間だった。
「愛しとうよ」
(多分、ずっと。永遠の)
とおくに
【遠くに、遠国】ふたりでならばどこまででも?
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