「離して下さい」
そう言ったとしても聞く筈が無いことは重々承知していた。彼はいつでもこうだ。私の言い分など聞きやしない。
案の定無言で言葉を瀟殺した眼前の男は髪だけでは飽き足らずその指を頬にまでするりと滑らせる。髪をいじっていた冷たい指先が直接肌に触れほんの少し背筋が震えたのは気のせいだと思いたかった。(けれどきっとそうではない。)
「触らないで、」
言いかけた言葉を遮るように下から覗き込まれて息が詰まる。言葉が詰まる。喉の奥に引っかかった感情はせり上がるばかりで一向に吐き出せそうな気配は無い。
じっと見つめられれば世界からは音が消えた。どこまでもどこまでも、見透かされそうな瞳は感情を映さない人形のの瞳の硝子玉のようで怖気すら覚える。
「嫌じゃ、ないくせにのう」
ああ嫌だ嫌に決まっている。
と、言い返すことすらできないのがきっと全ての始まりなのだろうと思う。思っていてもどうすることもできない私は彼から視線を逸らしきいと音を立てる机をぼんやりと見つめた。無機物を見ていると安心する。動かない喋らない。私が触れることはできても、触れてくることは無い、彼のように。
思考を宙に漂わせている間にも、飽きもせず頬を撫でていた指が唇に落ちる。かさついたそこをなぞる指先から溶かされてしまいそうな錯覚に陥ってしまい頭を振った。妄執を追い払うかのように。
「……ずるい人ですね」
「お前も、人のこと言えんじゃろ」
厭味ったらしく口の端を擡げ笑みを浮かべたその横っ面を張り倒してやろうかと振り上げかけた手のひらを、結局はきつく握り締めればそっと重なる手のひらの冷えた感覚に今度は泣きたくなった。
「これ以上、振り回さないで下さい」
零れた本音すら、彼は嘲笑って。
「嫌じゃ」
言うなり重なる手のひらを強く引かれた。抵抗することは勿論崩した体勢を立て直すこともできず重力に任せていればそのまま悪戯なキスを受けたこんな場所で。(ここは部室だ。)もうすぐチャイムも鳴ってしまうと言うのに他のメンバーがいつ来るかも分からないのに。
けれど私は目を閉じて為されるがままになってしまうし貴方は私の手を離すことはできない。
ああ、本当に馬鹿なのは一体どちらでしょうか。
指先から腐敗
07.10.30 H