「光」

 いつの間にか、俯き視線を落としていたようで、名前を呼ばれて顔を上げた。立ち止まった謙也が真っ直ぐに見下ろしていて視線がかち合う。謙也の後ろにはちかちかと明滅を繰り返す、街灯の光。滲みる光に、財前は僅かに目を眇めた。
 一瞬の空白は、二人の間に流れる空気を変えてしまうには充分過ぎる時間で、折角顔を上げた財前の視界はあっと言う間に覆われてしまう。この人はいつだって、唐突なのだ。心の準備をさせてくれない。目を開いたままなのに、視界から明滅する光は消えて金色が、さらりと流れる。埋め尽くされた視界と、奪われた呼吸。

「こんな往来で、……何考えてるんですか」

 視線を外さないまま、アホちゃうか、と呟いた唇をぺろりと謙也の舌が辿る。幾ら人通りが少ないとは言え、ここは路地。街灯の光が又、沈黙に晒された二人を包む。

「急にキス、したなってん」

 離れゆく唇が開かれ、そっと言葉を紡ぐ。濡れた己の唇を、財前は親指で辿った。

「アホ、謙也」

 再び視線を落とした財前の頭に乗せられた手の平は、熱い。そのまま頬を滑って、顎を取られる。静謐に満ちた世界に無表情な瞳の奥に隠された驚愕を明確に読み取って、謙也は口の端に笑みを刻み、手を離す。今財前の二つの眼に映るのは、己の姿だけだ。
 不意に湧き上がる子供染みた独占欲の発散の仕方が、よく分からないから謙也はいつでもこうして財前の心を乱そうとする。それも無意識に。無自覚に。その度にどうして良いのか解らなくなって、双眸は、揺らぐ。

「アホでええよ。別に」

 満足したのか謙也はくるりと背を向けた。街灯の光がちかちかと点滅を繰り返している事を再び認識した財前は、ふうと溜息を吐いた。アホだアホだと、罵っているが実際に一番アホな事をしているのは自分だと、知って居る。
 だってこんなにされたって、結局許してしまうのだ。きっと、何をされたと、しても。

「……ほんっま、むかつく」

 ぽつりと呟いた言葉は闇に紛れて届かない。残滓が鼓膜を揺らして、不思議そうに振り返った謙也の鼻を少し背伸びして摘んで、財前は瞼を閉じた。
 一瞬でフラッシュバックするのは、街灯の光でも何でもなくて、ただ、金色の、きらきら揺れる。あの人の。

「謙也先輩の、アホ」





瞼の裏に、光

09.05.11 H