一体全体、何が切欠でこんな事になったのか。何て考えるだけ無駄というものだ。
 そもそも雰囲気だとか色気だとか、そんなものを中学生男子に求められても困るし、それこそ相手が馬鹿で鈍感な部活の先輩ともなれば尚更だ。ああ、不毛。だなんて言葉がひっそり脳内を過ぎるけれども財前はそれを口に出さずに小さな吐息を漏らした。違う、自然と漏れる声を抑え切れなかった。重ねて滑る指が二人分の性器を擦り合わせてぞくぞくと、怖気にも似た感覚が走る。普段自分で、一人で自慰をするのとは、全く違う感覚だ。
 暑い。夏にクーラーも掛けずに部室に居るのだから当然と言えば当然だ。冷静な頭がまだ働いていることに財前は驚きつつも、至近距離に見える謙也の寄せられた眉だとか、汗で張り付いた髪だとかに視線が吸い寄せられて、緩く首を振る。荒い呼吸が、妙に生々しくて(いや、今している行為は生々しい以外に何とも説明がつかないのだけれど)財前はきつく瞼を閉じる。ああ、本当に、もう。


 だっておかしいだろう。部活の先輩と、部室で、二人でこんな風に触り合っているなんて。おかしい、と。冷静な思考が、所謂理性というものが、もう黄色信号なんて通り越して壊れているのかと言わんばかりに明滅しているような錯覚を覚える。錯覚、錯覚だ。こんな風に、どろどろになって、馬鹿みたいにセックスの真似事をしている事実に、確かな喜悦を覚えているなんて。


「ざい、ぜ…ん?」
 掠れた謙也の声が、空間を、鼓膜を震わせた。真っ直ぐに財前を見据える、眇められた双眸。普段の彼からは全く以って想像出来ない、何とも言いようのない表情にこくりと生唾を飲む。口の中に唾液が湧き出る。眉を顰めながら緩く、恐らくは無自覚に腰を揺する財前の様子に気付いた謙也は薄っすらと笑って性器の先端に爪を立てた。途端に零れる高い、声。部室の中で二人きりだとは言え、何時誰が来るとも知れない場所だという事を思い出して、財前は空いた手で口元を覆う。不意にぽろりと、生理的な涙が零れた。
「ん、ン、…ッ、あ」
 壊れた玩具みたいに、言葉を為さない声だけが口元から零れる。自分のものではないような声を聞いていたくなくて、財前はきつく瞼を閉じた。だって本当に、自分でないような声で、聞くに耐えなかったのだ。恥ずかしい、恥ずかしい。こんなのは、おかしい。だから困ったように謙也が、眉を下げて笑ったことを知らない。そして同時に財前が快感に呑まれまいと必死に唇を噛み締めていることを、謙也は知らない。
 擦り合わせた性器の先端からは先走りが溢れて混ざり合って、ぐちゅぐちゅと音を立てている。相変わらず口元を覆って声を覆い隠している財前のその手の甲に、謙也はそっと口付けた。何だ、これは、何て考える暇を謙也は与えてくれない。優しい、優しい口付けはけれど、熱い呼気に身体を竦ませる結果になった。熱いのは曝け出している互いのものばかりで無いことに気付かされて、財前は瞼を閉じた。ああ、もう、どうしたら良いんだろう。勿論上手い対処法など回らない思考とぐずぐずに溶かされた身体で思いつく筈も無く、心臓ばかりが早鐘を打っていて手に負えない。どくりどくりと、それに比例して込み上げる射精感。
「謙、也、先輩?」
 恐る恐る、口元を覆う手が取れて、そのままの財前の声が、響く。濡れた眼差しが、出口が分からない迷子のように揺れていて、謙也は思わず息を呑んだ。理性は一番最初に、財前が「熱いっスわー」なんて汗を拭いながらぱたぱたと服裾を巻くっている時に、後ろからその肌に触れた時に、飛ばしてしまっていたからやっぱり我慢なんて出来る筈が無かった。そもそも、この暑さがいけない。片手で顎を取って、上を向かせる。露わになった財前の唇は噛み締められて赤く熱っていて、とても。(ああ、キス、したい。食ったら、美味そう)


「声、ちゃんと聞かせてや」
 そう言ったにも関わらず、謙也は財前の唇を、自分のそれで塞いでしまった。顎から緩く頬までのラインを撫でて、擦るスピードを速める。(何で、これ、キス、やんな)触れる唇の熱さに、眩暈がしそうだった。財前は不意を突かれて目を丸くしたが、重ねられている事で伝うスピードに連動するように謙也の性器をなぞるスピードを上がる。(うそや、なんで)何て思って居る間も無く、薄く開いた唇の間を舌で割ってぬるりと歯列をなぞる謙也の舌。財前の引っ込めた舌を探し当てて、絡め取り擦り合わされる。(やって、おかしい、何で、何で)頬を撫でていた手が、耳のピアスに触れた。弄られると、痛みと綯交ぜになった感覚が財前を襲う。ああ、もう、だめだ。
「んっ、んー、……」
 財前を堪えきれなくなって、身体を震わせた。唇を合わせたまま。深く深く、舌を吸い上げられて糸を引いて唇が離れる。はあ、と息を漏らす間も無くきつく先端を弄られて、耳まで弄られて意識が白で塗り潰されそうになる。負けじと、震える手で謙也の性器を擦り鈴口を刺激すれば、二人は殆ど変わらないタイミングで、互いの手のひらに精を吐き出した。
「はぁ、は…」
 力が入らなくなって、そのまま謙也の肩に凭れ掛かる。最初に仕掛けたのは謙也だったが、悪戯に乗ったのは財前だった。触れられて、ひぁ、とか何だかおかしな声を出してしまって、後はもう済し崩しになってしまったのだ。
「……ごめんな、財前」



(何で謝んねん、アホちゃうかこの人。いや、アホや、アホやから言わんと分からんのやろ。けど言うたらへんし。分かるまで悩んどったらええねん、謙也先輩なんか。アホ、謙也先輩の、アホ)



 せやけど離せんわ、とか。きつく抱き締められて小さく、呟かれて。アホな先輩はきっと聞こえていないと思って小さな小さな声で言ったのだろうけれど、至近距離で心臓の音すら共鳴しそうなこの距離で、財前に聞こえていない筈が無い。どうして良いのか分からなくなかって、抱き締められる腕の力に涙腺が弛むのを隠すように顔を埋めて背中に腕を回す。下半身はどろどろのままで、早く拭わないと悲惨なことになるのにと思いながらも襲い来る疲労感に財前はされるがままだ。(もうちょい、だけ)シャツを、きつく掴む。だって、追い求めた背中が、ここに在る。





世界の真ん中

09.07.19 H